The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

そもそもなぜ、コーヒーをというところから

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写真は本文とは直接関係ありません


もともと、コーヒーに興味を持ったのは、実家のある街に昔々小さなUCCの喫茶店があって、たまたま中学時代に悪友と入ったら、丁寧にコーヒーをサイフォンで淹れてくれたとか、高校時代の友人の兄がコーヒーにはまっていて、たまたま、自宅でコーヒーを挽くという選択肢があるということを教わったとか、いろいろなきっかけはあったのですが、その大元は、幼い頃から、自分の体調の不安定さをなんとか克服する手段を探していて、その有力な手段の一つだったということにあります。

コーヒーは、特に、年を取るにつれて、自分にとっては生きてゆく上で、水や空気の次くらいに重要なポジションに収まりつつあります。

幼少期の周囲が見渡す限り、山と畑と田んぼしかない世界から、小学三年生に上がる頃、街に出て、店が近くにある環境に越して来てからは、いろいろな食品のパッケージの原材料表示などを丹念に見比べて、まだ読めないはずの文字を見てどういうものでできているのか、一つ一つ確認していたことを思い出します。カカオマスカカオバター、砂糖、とかですね。

それは子供の頃、基本的にお菓子類は買ってもらえなかったということも背景として大きかったのですが、やはり、食べるものによって、体調に変化が生じることを感じていて、なんとかしたいと思っていたからだと思います。

ちょっと食事やら、飲み物やら、いろいろなバランスが崩れると、とても体がだるくなって何もできなくなってしまうということが頻繁にあったからです。

ただ、食事や飲み物がある程度、しっかり取れていても、どうしても日中、意識が保てないことが多くなりました。それで睡眠時無呼吸の診断をもらったり、数種類の精神科で使う薬も試して見たのですが、どれもうまくいかず、最後に残ったのがコーヒーでした。

コーヒーならなんでもいいというわけでなく、またコーヒーさえ飲んでいればそれでいいという単純なものでもないのですが、ある一定以上のクオリティの新鮮な豆で淹れたコーヒーを1日平均100g以上くらい飲んでいれば、ある程度日中は活動できるようになりました。

ただ、それでも、体がコーヒーを受け付けない日もあったり、食事のあとは、運転が困難になったりすることがあります。

先日もふるさと納税の返礼でもらった牛肉が(たぶんホルモン剤などを多用した肉だという気がします)あまりよくないみたいで、食べたあと大変で、もう少しで寝込みそうになりました。

これに懲りて、ふるさと納税は今回で最後にしようかと思ったくらいです。何が影響するかわかりません。あまりよく考えずにスーパーの総菜とか、既製の菓子パンなどをパクパク食べると途端に来る時があります。

そういうとき、コーヒー飲むだけではどうにもならなくて、ついつい焙煎まで走ってしまうわけです。

すると、コーヒーを飲むのとは別の作用があって、元気になれます。

どうも焙煎の際に発生する蒸気や煙はどんな西洋の薬にも負けないくらいの作用が自分にはあるようです。ただ、これも限界があって、あまりに連続で焙煎したりすると、ちょっとうまくいかないのです。

体にいいものをたくさん食べすぎても病気になるように、やはりなんでも闇雲にたくさん取ればいいというわけではないということでしょうか。

きちんとした煙突をつければまた違うでしょうが、特に2番はぜ以降の煙はあまり好きではないし、喫茶店のコーヒーの古い脂みたいな匂いもあまり好きではないので、コーヒーを仕事にしようとは思ったことはありませんでした。

それでも、コーヒーというのは、自分にとっては、単に趣味とか実益とか経済的利益とかそういうものとは別の次元のもの、例えていえば、自分にとっての必須アミノ酸みたいな存在でなくてはならないものなのです。