The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

味覚が最後の感覚であるということの意味するところ①

本当に危険なものの場合は、口にした時点で危ないので、人は慎重になります。

しかし、多くの関門を通って、いったん口にしたら、(怪しい兆候があれば、吐き出すという選択肢もあるのですが)

ほとんどの場合、そのまま食べてみる、飲んでみて様子をみることになるかと思います。もちろん、おいしければそのまましっかりおかわりまでするかもしれません。

というのは、実際に口にする段階では基本的にお腹が空いていたり、喉が乾いていたりするわけです。

ですから、いったん食べてみる、あるいは飲んでみる、と決めたら、よほどのことがない限り、もうあとは、えいままよ、と胃の中に放り込んでしまう、そういうことがあたりまえに起こります。

だからこそ、その前に絶対に安心できると思えることが重要です。

まったく馴染みのない人から見たら、なぜあの店が、とかなぜあの味がと思うような店が長く常連さんを抱えてそれなりに繁盛していたり、定番になっていたりするのは、いつものあそこなら間違いないという絶対的な安心感を保っていられるからだということです。

できる限り、ひいきにしてくれるお客さんの期待を裏切らない一定した味と接客態度や店構えで、長年商売し続けることができたということです。

 もちろん、味がどうでもいいということではありません。それでも、ある一定レベル以上をキープできれば必ずしも、高級な材料や至極特別な手間のかかる調理方法を採用しなくてもいいわけです。

また、たくさん広告を出したり、マスコミを利用したり、そういうのは特に都会では有効かと思いますが、それで元の味をキープできなかったら終わりです。多くの人を惹きつける、関心を持ってもらうのが目的であってはならないのです。本当の目的は多くの人に安心感を持って継続して利用してもらうことを第一にしないと一過性の効果しかありません。

美味しいと思って、喜んでいただけたり、というのはもちろん素晴らしいことですが、最初にするべきことはまずは安心感を与えること。

店舗の内装についてもおそらく同じです。あくまでも、お客さんが安心して利用していただける環境を作ることをメインにして、店主のセンス(趣味)でいろいろな工夫をするのは二の次であるべきかもしれません。

当たり前のことですが、自分自身実感としてわかっていなかったなあと思いながら、書いています。