The Coffee Roaster House

Five pounds retreat -just around

芳香物質で溢れるこの世界③

あえて擬人化すると、働きバチは、こんな風につぶやいているかもしれません。

もし、蜂に人間のような意識があれば、ですが、おそらくきっと、「女王様はずっと巣の中にこもりっきりで大変だなあ」とか、「オスバチは花の蜜を集める楽しみを知らないなんてかわいそうだな」とか思っているに違いないのです。

そして、かりにもし、植物の側にも、生物としてのなんらかの意志なり、意識があるとすれば、自分と同じ仲間が遠くで放っている芳香物質を何らかの形で感じて、ともに繁栄しているのを確認して、うれしいと感じたり、自分の周りに集まってくる動物たちの放つにおいや気配を感じて、(言葉にすれば)ありがたいなあとか、楽しそうだなあと認識して、いってみれば喜んだり、しているのではないでしょうか。

そうやって、積極的に世界と呼吸している。植物にとって、世界と交流する、コミュニケーションする媒体が芳香物質であるといえるかもしれません。

こうして考えてみると、人間社会のただ給料をもらうためにとか、食べるために働くとか、義務として労働するという感覚は、自然の摂理に必ずしものっとっていないような気がします。

本来、人間も、おそらくはそれ自体が喜びになるような仕事なり、働きにまい進すべきで、大変な仕事を押し付けあったり、お金などの報酬を対価として労働させたりというのは、自然の在り方からは外れているような気がしてなりません。

 たとえば人間界の競争社会の根拠のようにみなされることのある野生動物の世界ですが、個別にみると弱肉強食に見える世界も、全体とすれば、生態系のバランスをとるために必要な仕組みであり、弱者に見える捕食される側も必ずしもやられっぱなしでなく、反撃もするし、襲う側も、いつも飢えたり、けがをするリスクと日々戦いながらぎりぎりの生活をしているという点ではライオンなども王者とは程遠く、いつでも草をついばんでいられる草食動物の方がよほどゆったりと生活しているといえるかもしれません。

食べるか、食べられるか、確かに、命がけ、ではあるものの、野生動物にとってはそれこそが、生きるということであり、そうやって大地を踏みしめ、荒野を駆け抜けたりすることがお互いにとって生活を維持するための日々の活動であり、その全体として自然界の仕組みを支えているのです。動物にとってはいってみれば、そのこと自体が、かけがえのない生きがいみたいなものなのです。

そして、おそらく、そういった動物にとっても、様々な植物が発する芳香物質であふれているこの世界で生きていることは、この上のない喜びなのではないかと思うのです。

いわば大自然の絆を保っている重要なカギとなるのが、植物が作り出す芳香物質。

人間が揮発性の物質、香りを求めるのも、自然の中に生きる生物としての、動物としての、基本的な感受性ゆえであり、植物はこんな風にして、世界全体に活気をあたえることにさりげなく貢献している。

ですから、コーヒーを焙煎する行為というのは、そういった自然の覚醒成分であったり、鎮静剤であったり、特効薬になるかもしれない芳香成分をコーヒーを原料として、半ば人工的に生成する作業でもあり、現代の錬金術みたいなものではないかと

くろちゃまめは感じているのです。