The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

「お茶する」の起源にかえる 近代的な喫茶の先進国だった日本

お茶の起源・発祥は現在の中国であることはほぼ間違いないらしいのですが、ちゃ、または ティーという言葉自体は、当初は苦い飲み物全般をさしていたのではないかとも言われています。

確かに、ほとんどの草木を煎じて飲めばなんらかの苦味を生じるのが普通です。

ちゃもティーも元々は両方とも、今では中国と言われている地方の方言が元で、伝搬する過程で枝分かれした結果のようです。

ですから、コーヒーも広義のちゃ(またはティー)、にいれて構わないと思うわけです。

日本でもちょっと前まで、おちゃする、といったら、近所の小洒落た喫茶店でコーヒーを飲むという意味だった時代があったわけですし。

昔からある、麦茶、はと麦茶、黒豆茶、柿の葉茶等も茶の木とはまったく関係がありません。

さらに、実は紅茶の製法が確立する以前のヨーロッパでは日本から輸入された緑茶が大人気だったのはあまり知られていないことかと思います。

日本から輸入する高価なお茶に嫌気がさし、また強欲な(多分一部の)オランダ商人が低品質な安価な茶を大量に買い付けて、ヨーロッパで高く販売したことから、その後は中国で生産された緑茶をはじめとした、中国茶の輸入に切り替わりました。またこれが当時のイギリスの中国進出のきっかけでもあったようです。

そもそも、イギリスが大々的にアジアに進出せざるを得なかったのは嗜好品としてのお茶の輸入で生じた財政赤字が原因とさえいわれているようです。

この、日本茶が当初ヨーロッパに紹介された時期はなんと鎖国時代の1609年。

コーヒーが日本に伝来するよりずいぶん早いタイミングですが、一時的とはいえ、日本茶がヨーロッパを席巻していたわけです。

またヨーロッパでコーヒーの飲用が(貴族の間で)一般化しはじめたのは1600年あたりで、日常的に、「お茶する」習慣が広まったのは17世紀以降。つまり現代的な意味で「お茶する」ことに関しては、中国や日本はヨーロッパより先をいっていたといえるのです。(もちろん、ハーブはあったでしょうが、薬草としての植物の利用はヨーロッパに限らず、普遍的に古くからあったと思われます)

ちなみに紅茶の製法が確立して、緑茶を押しのけてヨーロッパで主流になるのはもっと後の話です。(ヨーロッパの硬水に合うように改良したのが今の、紅茶であると考えられています)

日本が珈琲(や紅茶)について後進国みたいに捉えるのは、少し違うと思うのは、貴族や高い地位にある人々が「ちゃ(ティー)」を日常的に嗜む習慣自体は日本の方がはるかに早かった可能性があるし、「おちゃする」習慣が江戸時代の一般庶民の生活に定着したのが、煎茶の製法が確立した1738年以降とすれば、一般への普及も日本の方がおそらく早かったと思うからです。(イギリスで初めてできたティーハウスは1717年に開店したとされていますが、ごく限られた上流階級に向けの店だったはず)

そもそもエチオピアでは古くから、珈琲の葉を茶にして飲んでいたわけですし、緑茶の製法の基本は中国から伝わったようです。そういう意味では日本が一番とまではいえませんが、大航海時代から、「おちゃする」ことについて、あるいは「ちゃ」の普及において、この時代の日本が最先端を走っていたのは間違いないと思うのです。 

 ちなみに日本に最初にコーヒーが伝来したのは1788年以前であろうことは確認ができているものの、はっきりした時期はわかっていません。