こおひいの木を煎じて飲む習慣を始めたのは、今のアフリカのエチオピアあたりではないかとされています。
当初は主にこおひいの木の葉を煎じて飲んでいたようです。
これ、もろ、珈琲茶です。
日持ちのしない肝心の実は一部外側だけ食べて、中の固いタネは最初は捨てられていたはず。利用する場合もお湯の中でふやかしたり、すりつぶして、煮たりという利用の仕方をされる時代が長く続いていたようです。
このタネをわざわざ焙煎して利用するようになったのは、生の葉だとそれほど日持ちしないということと、乾燥の過程で発酵しアルコールを発生することがあり、このアルコールがイスラムの教義に触れたためとも言われています。まあ、焙煎したらしたで、これは炭であるからいかんという話も出てきて、ケンケンガクガクあったようですが。
そうすると、焙煎のルーツはアラビアにあるといっていいでしょう。
今でもアラビカ種と名前に残っているように、コーヒーのたねを本格的に利用した始めはアラビアのどこか。
しかし、コーヒーのタネをおいしく飲めるようにするには正しく焙煎しなければなりません。
浅煎りなら、アメリカン、中深煎りなら、ジャーマンロースト、2はぜのピークまでいくなら、フレンチ、最後までいくなら、イタリアン。あ、アメリカンとジャーマンの真ん中のどこかあたりを今ではノルディックとも言うそうですけど。
もちろん偶然で加熱されたり、あるいは手作業で煎るのは、記録に残るはるか昔から、行われていた可能性があります。
しかしアメリカ人が今の形に近い工業的な焙煎機を作り出すのが1864年頃。19世紀の前半まではアメリカでさえ、家庭で少量ずつ生豆を焙煎していたのです(おそらくは奴隷の仕事です)。
ちなみに、日本で、ある程度まとまった量のコーヒーを海外から輸入した記録が残るのが1856年頃。
そして、プロバットにして創業は1868年。どこかで覚えがあると思ったら、ちょうど明治維新の頃なんですね。
工業化した焙煎機を使い、安定した焙煎度で珈琲のタネの利用を始めることができたのは、西欧諸国が最初といっていいと思いますが、実はプロバットでさえ、2021年時点で153年目。
対して日本で誰が最初に焙煎機の利用を始めたのか、という点について、はっきりしたことはわかりません。あえていえばブラジレイロの開店が1930年で91年目。
つまり、あともう少しで100年。
そろそろ日本流の焙煎なりコーヒーが世界に普及して、ジャパンローストとか、ジャパン・コーヒーとして知られてもおかしくないと思うんですが、どうでしょう?
ちなみに、KYOTO COFFEEというと日本の喫茶店で出す、本格的な水出し珈琲のことを指すようです(さすがに一部のエンスーにしか通じないと思いますが)