The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

大英帝国に占めるコーヒーの地位とニッポン ①

ちょっくら歴史を振り返ってみようと思います。

今では英国(イギリス)は紅茶の国として知られています。

 自分は行ったことがありませんけど、たぶん、現代の英国でお茶しましょう、といったら、ほぼ100% 紅茶をいれて、おうちでゆっくりお話でもして午後の時間を過ごしましょうという意味になるんですかね。

これが80年代のアメリカの田舎でしたら、来客にはコーヒーかお茶か聞くのが一応の礼義でした。日本はとりあえずお茶があれば煎茶。緑茶。相手によってはコーヒーや紅茶にしますかと聞いたりするでしょうが、単に、お茶するといえば、自分と同じ世代であれば、喫茶店に行ってコーヒーを飲むというのを今でも連想するかもしれません。

その紅茶の国、と思われているイギリスもかつては大々的にコーヒーのプランテーションを行っていたことをご存知の方は多いと思います。(正しくはオランダからかっさらった、らしい。たしか日本の世界史でも一部習うと思います)。

イギリスによるプランテーションが行われたのはインドとセイロン島、そう、今では紅茶の島として知られているセイロン島も見渡す限りコーヒーが植えられていた時代があったのです。

かつて、1717年に最初の紅茶の店が開店する以前の英国全体で3000店以上のカフェ(コーヒーハウス)があり、ヨーロッパの中でも比較的早い時期にコーヒーが普及したと言われているイギリス。そのイギリスで、今ではヨーロッパをはじめとする世界中の国家の経済と政治の土台となった仕組みとと個人の権利に関する概念が発達したのは、コーヒーの普及が大きく影響していたともいわれています。

カフェはコーヒーを飲むことをきっかけとして、当時の文化人が交流し、意見をぶつけ合ったり、議論をしたりする場でもあったからです。

日本といえば、お酒を飲みながら、コミュニケーションするという文化ですから、もう全然、正反対です。飲みニケーションというのは、今では海外からくる留学生の間でも通じるみたいです。

コーヒーが社交の場の中心になったのはアルコールがカトリックの教義とそぐわなかったことが影響しているようですが、素面でコーヒーを飲んで議論している連中が率いる軍隊と、1日が終わって一息ついたら、乾杯という文化で育った国の軍隊とまともに戦ってどちらが勝つか、明らかだと思います。

どんなに末端の軍人が真面目に頑張っても、コーヒーを飲んで真剣に議論し、交流した方が戦略的にも、大局的にも、だんぜん優位でしょう。

もし、タイムマシンが手に入ったら、とびきり、いいコーヒーを持って、20世紀初頭の日本の政治家や軍人にどんどん勧めて廻りたいですね。日本にもっと早く一般にコーヒーが普及していたら歴史は変わっていたのかも。

少なくとも、末端の人々が無為に苦しんだり、血を流すことのない、懸命な選択がなされて、うまくいけば、戦争そのものだって、避けれたかもしれませんから。