The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

ニッポンとアメリカ ②

先の2回の大戦の前後で日本人が発明発見したもののうち、最重要な3つといわれたら、農林10号、八木アンテナ、インスタントコーヒーを個人的には推したいと思います。

実はいずれも、日本人が発明発見したものをアメリカ人(もしくは西洋人)がその価値を見出し、先に発展普及させているのです。

緑の革命というのを聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。今、世界中で栽培されている背が低くて収量の高いパン小麦の源流の一つが日本の稲塚権次郎が見出した農林10号でした。

これ、実は戦後、GHQが賠償の代わりに日本に供出させた技術や情報の一部でもありました。背が低くて収量は高いものの、病気に弱くて東北地方の一部でしか栽培されていなかった農林10号を元に品種改良して、世界(主に当時のアメリカ大陸)の食料危機を救ったのは、のちにノーベル賞を受賞することになるアメリカ人 ノーマン・ボーローグ の業績ですが、その土台は日本人が作ったのです。

あの時代から日本とアメリカが平和的に協力し合っていたら、もっと素晴らしいことがありえたのではないかと、くろちゃまめが思う理由の一つです。

次は八木アンテナです。今では八木・宇田アンテナと呼ばれているそうです。1924年ごろには、短波用アンテナとしての特性が見出されていたこのアンテナ。名前の通り、東北大学の教授、学生によって発明発見されて、欧米では、第二次世界大戦勃発以前から、軍事用途で研究されて、レーダーなどに応用されていました。

対する日本。1942年になっても、日本軍の技術将校にはYAGIの名は知られていなかったという話もあります。その性能に気づいてから、欧米のコピーをしようとして最後までうまくいかなかったようです。

大戦の後半中の後半、イギリスにパラボラアンテナが登場し、アメリカでマイクロ波の利用が始まりますが、それ以前の世界では、日本人の発明した八木宇田アンテナの独壇場で大いに軍事利用され、日本軍を苦しめたのです。

ですから、もし、発明当初から、その重大性に気が付いて研究を深め、主要な情報を国内だけにとどめておいたなら、それだけで、先の大戦をより有利に進めることができた可能性があります。(もちろん、それだけでは到底勝てなかったでしょう。)

このことを通して何が言いたいかと言いますと、もっと日本人は自国にで開発・考案されたものを正当に評価して、誇りを持つべきだと言うことです。

たとえば、日本の深煎りひとつとっても、今のスペシャルティの世界で理解されていないだけで、イタリアのエスプレッソとは別の魅力や意義があると思いますし、そういったものを含めた日本のコーヒーの歴史も、正当に評価すべきではないかと思っているのです。