The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

ニッポンとアメリカ ③

いつの間にか、例の有名な会社のインスタントは看板が変わっていました。以前より、バリュエーションも増えているし。

さて、ブラジルコーヒーの暴落がきっかけでインスタントが本格的に普及したのは、1930年代後半。ブラジル政府の要請に応えたのが、今や世界最大の食品メーカーとなったNESTLEです。

しかし、それにさきだつ、第一次世界大戦の時点で、アメリカは前線の兵士に満遍なく行き渡るレベルでインスタントコーヒーを支給していました。

日本がインスタントを輸入し始めたのは戦後1950年になってから。

遅いですねえ。日本人の加藤サトルが現在につながるインスタントの基本的製法を確立したのは1899年。1903年に特許をとっています。もし日本がいち早くインスタントに手をつけていたら世界は変わっていたんではないかと思っています。その理由について。

航空機を主たる戦力として、ハワイを先制攻撃するという、この作戦を立案、実行する上でもっとも重要な役割を果たした人物を一人だけあげよといったら、間違いなく山本五十六の名前があがるでしょう。

当時としては画期的な、航空戦力を主体とした攻撃、その手段となる航空機の開発から、人材の育成、実際の作戦の展開までほぼすべての段階で関わっていたようです。

その天才的な頭脳の働きを支えていたのは、外遊の際に、こっそり日本に持ち込んでいた、インスタントコーヒーではないかとくろちゃまめは睨んでいます。

もし、山本が自分ひとりでアメリカのインスタントを飲むようなことをしないで、その力で広く海軍に普及させていたら、戦局はもっと日本側に有利に働いていたはずです。

ところで、事前の演習で自軍に大きな損害が出ると予想されていたのに、想定以上の戦果をあげたのは、奇襲攻撃であったことが大きく影響したと思われます。そして、それがアメリカの世論が大きく戦争に傾く原動力となったとみなされています。

手違いで連絡が遅れて、宣戦布告が後になったとされていますが、正直、ここばかりは山本五十六も読みが浅いかもと個人的には思います。

クリスマスは外したといっても、アメリカ人にとっては、11月の後半からが実質クリスマス休暇みたいなもので、頭の中はクリスマスでいっぱいだったりします。仮に間に合っても、アメリカの一般大衆にとっては、それだけでも十分に野蛮で卑劣な奇襲に違いありません。

この辺りは剣豪同士の決闘のはずのものを、老獪な策略で勝った武蔵がもてはやされる国と、騎士道の文化を半分背負った、カウボーイの決闘を背景とする国の文化のギャップですね。少なくとも前々日の金曜日にはアメリカ全国民に対して、周知されているくらいのレベルでないと、なんのかんのいって、結局卑怯者扱いは避けれなかったはずです。(もちろん、そんなことをすれば返り討ちにあった可能性が高い)

本来、そういう文化も含めて熟知していたはずの、山本五十六が12月8日(現地時間12月7日日曜日の早朝)という日を真珠湾攻撃の日に選んだのはこの季節の気象条件もあったことでしょうが。ちょっと腑に落ちません。クリスチャンにとっては週末の安息日、絶好の攻撃の機会とはいえ、神をも怖れぬ異教徒めが、という反応を引き出すことは想像できなかったはずがないと思います)

さらに呆れるのは翌年の5月、6月くらいになっても、宣戦布告は本当に間に合ったのかと山本が気を揉んでいたと言う話が伝わっています。なんという情報収集能力の欠如ーというより、山本自身は超絶的に優秀だったかもしれませんが、日本は諜報能力以前の情報戦で全く話になっていません。内部で、宣戦布告が遅れたこと自体隠蔽していたんですね。日本は。山本五十六さえも欺く。素晴らしい情報統制能力。でも、こんな状態だと軍事作戦自体もまともに機能しないでしょうよ。

ということで、宣戦布告が仮に間に合ったとしても、本当に直前で、しかも週末のアメリカ側としては寝耳の水の状態ですから、いずれにせよ、世論は沸騰して、打倒、日本で纏まることになったでしょう。

一般のアメリカ市民に日本の正当性なり立場が同情され、理解されるような状況を作らない限り、詰んでいました。(アメリカに弓を引く選択をした時点で現実的には無理な話でしょう)

ということは、やはり真珠湾攻撃が計画された時点で、ある意味手遅れだったと言うことも言えます。先制攻撃といえば、かっこいいですが、要するに不意打ち前提の作戦ですからね。

そう、日本軍にコーヒーを飲みながら、リラックスして、語り合えるような文化があったら。しっかり議論するなり、率直な意見を戦わせることにも繋がって、もっと懸命な選択ができたのにと悔やまれます。

いや、そういう国だったら、そもそも、戦争に突き進もうとおもうことすらなかったでしょうが。