The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

続 ニッポンとアメリカ

どうして、山本五十六のように25歳でアメリカに駐在したり、35歳でハーバードにいったり、なんども渡米しているような人間が真珠湾攻撃を仕掛けるまで突っ走らなくてはならなかったのか21世紀の地点から見ると、とても不思議です。

実際、山本自身、戦争に勝てるとは思っていなかったようです。当初は軍事訓練の一環に過ぎなかったと思いますが、最初に真珠港攻撃が立案されたのは、昭和3年ごろ。それからいよいよ準備が整って、いざ実際に計画を実行する段になって、山本自身、機が熟したと勇んだかというと、そうでもなく、内心では反対だったようです。

それでも結局最後、「1年くらいは暴れまわって、そのあと、なんとか有利な条件で講和に持ち込もう」と豪語して、承諾したとか、(山本本人の話ではないとしても)うまい具合に奇襲を成功させて、アメリカ国民を震え上がらせれば、アメリカはあるいはおそれをなすかもしれない、といった空気なり意見が少なからずあって、最終的に宣戦が決定されたという話もあります。

ここで一つまた、何かが足りないと思うんですね。

スペシャルティとかレギュラーでなくも、せめて缶コーヒーでもこの時代にあったなら、そして、缶コーヒーを飲みながら、ゆっくり時勢について語り合うような文化が日本にあったなら、日本はもっと世界の中でうまく立ち回れたのではないか。そのことが悔やまれます。

ちなみに缶コーヒーが発明されたのは、1876年のアメリカとされています。でも、缶詰自体はもっと古くからあったはずで、ようするに、持ち運べるように、缶に入れてみようというのは、記録に残っていないだけで、試した人はたくさんいたでしょう。

アメリカでは1940年代に製法特許が出願されていますが、結局、普及しないまま終わります。ちょうどインスタントコーヒーの普及した時代ですので、液体の状態で缶詰にするのは輸送のコストの問題もあって廃れてしまったのでしょう。

ところで、最近では日本の外、アメリカやヨーロッパでスターバックスをはじめとして、缶コーヒーが徐々に扱われるようになってきているんですねえ。

少なくとも、缶コーヒーの普及については、世界のさきがけだったはずのニッポン、缶コーヒーの先進国として21世紀のこれからの世代の活躍に、期待したいところです。

そして、いよいよタイムマシンが完成したなら、缶コーヒーをこの時代に大量に持ち込んで、おおいにすすめてまわれたらと思います。

口当たりもいいし、受けると思います。

休憩時に缶コーヒーを片手に語り合うもよし、会議中に一息つくもよし、日本のトップの決断にも大いに影響したはずです。