まだまだ延々とリズミカルな父の呼吸は続きそうでした。
朝まで長丁場になると覚悟してゆっくりコーヒーを淹れて飲み干そうとしたその時、そのまま自分の体は固まってしまってこたつに入ったまま、動けなくなってしまい、一瞬時が止まったように思えました。
そして、うとうとしているような、半分金縛りにあったような状態になりました。
母親が一人で父の世話を、母なりの看病をしています。いつもの母なら、息子に頼りきってしまうような場面でも、疲れた自分を気遣ってか、それとも昼間の分の挽回をしようとしてか、本当に一生懸命でした。
それからしばらくすると、いつの間にか、実際の自分の目線より上の位置から眺めて俯瞰しているような画面に切り替わって、母が本当に親身になって、慣れない手つきで体温を測ったり、体温を調節しようと氷枕を用意したり、まるで新米の看護婦が初めての一人の夜勤で容体が急変した患者を看ているようでした。そんなシーンをかなりの長い時間、しげしげと眺めているのです。
一体何が起こっているのか、その時の自分にははっきりとはわからなかったのですが、どうも、この状態は、どこかにいってしまったと思っていた父の人格意識と自分の感覚器官になんらかのリンクが生じて、お互いを共有しているような感じでした。
ああ、〇〇子はこんなにまでして、自分のために尽くしてくれている。思えば、事故があってから10年間ずっと世話になってきたのは自分だった。人に迷惑をかけないと言っていたけれど、むしろ家族(特に母)に負担をかけていたのは自分だった、とそういった感慨に浸っているようでした。
家族に一番迷惑をかけてきたのは、実は自分だったかもしれない。
そう、もうこの大変な状況から妻を自由にしてあげなくてはならないのではないか
それが父の中で何かが最後に溶けた瞬間だったと思います。