The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

くろちゃまめの父、死す 

もう、4年近く、特養にお世話になっていた父の状態が悪化し、病院に搬送されたものの、わかりやすくいえば脳死の一歩手前(といったら言い過ぎでしょうが ドクターの見立てでは)ようするに治療の見込みがほぼない上に本人の意思も確認できない、痛みを感じられるかどうかも怪しいレベル、ということで、急遽、自宅で看取ることになりまして、先週、家族で見送りました。

享年82歳でした。見えないものを信じられない方には、植物状態のように思われていたかもしれない父ですが、それでも最後の最後まで、自分とはときおり会話が成立していました。

少なくとも、自分には父の感情や思い、意思のようなものを感じることができたのです。

論理的な思考というものはそこには存在しないのですが、父の人格のコアのようなものは確かに現れていて、そのことを感じられる瞬間は私以外の方にもあったと思うのですが、唯物主義に染まっている現代人においては、かなりの高齢者でも、気休めの一種と受け止められていらしたようでした。

死後の世界とか魂のことをまったく信じていなかった父と、最後の最後にこのような交流ができたこと自体、自分としても意外でしたが、そのような父との間にも、こんなことが起こり得るということを体験できたのは、自分にとっては大きかったと思います。

もとより、カンが鈍いとか、人の気持ちがわからないとか、非難されがちな自分にこういうことができるというのを信じられない方がほとんどかと思いますし、もともと、いわゆる霊感のようなものもまったくといってない、自分ですので、あまり語っても、作り話と思われるでしょうから、多くは語れませんでしたが。なにより。

なくなる直前まで、生きる意思をはっきり示していた父の余命をドクターの見立てを絶対的に信じて、こんな形で決めるのは自分の望むところではありませんでした。

しかし、仮に延命措置を続けたところで、まったく面会も許されない中で亡くなるリスクが高いであろうこと、自宅で見るとしても、24時間体制で見守るには他の家族の協力が必要で、自分一人、仕事を辞める覚悟で対応しても数十時間が限界ということで、私の我を押し通すこともできませんでした。

こんなに急に見送らなくてはならなくなったのは、今のご時勢、コロナの影響も大きいのですが、長男でありながらも、父母の世話を他の兄弟に任せっきりにしていたことと、自分の信ずるところをきちんと伝えてこなかったこれまでの生き方が大きく響きました。

とはいえ、3日にも及ぶ時間の中で、最後の最後、何が何でも生きてやる、という、こだわりから抜けて自由になって逝かれたのはせめてもの救いでした。