The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

4日目の朝の光の中で

父はたぶん、本人としては死そのものを特段恐れていないつもりだったでしょうが、死後に意識が残るとは思えなかった分、どうしても生きなければならないと最後まで念じていました。死とは無。それが父の強固な信念でした。

それも最後は昨夜の体から離れてさえも意識は持続しているという体験で覆ったはず。ということは思い残すことはなかったと思いたいのですが、それが自分の幻想なのかどうか確証は持てませんでした。

なにしろ、この手の経験は自分にとっても初めてと言っていいものでしたし、なおかつおそらく父にとっても晴天の霹靂、天地がひっくり返るレベルの体験だったはずですから。

もうすでに死後の硬直は始まっていましたが、ドクターの死亡診断が降りるまではなるべく現状維持が望ましいということでしたので、とりあえずは見守ることしかできることはありません。

これからのバタバタを思ったら、一寝入りしたいところですが、そうもいきません。かといって、悲しみにくれるというわけでもなく、脱力感があるかというとさほどでもなく、かといって、全てが終わってほっとしたというわけでもない。

それでも、直前までの父の激しい息遣いが収まったことで作り出された静寂が家の中に落ち着いた雰囲気を醸し出していました。

父は本当に納得して、いたのだろうか? そうでなかったら、険しい表情が残ったりしないだろうか

ところが夜が明けて、あたりがあかるくなり、部屋の中に差してきた日の光に照らされた父の顔は意外にも潤いが戻ってきていて、何だかある種の達成感に満たされているような気配がそこはかとなくするのです。

いかにも、もっと生きたかった、というような、恨みがましい、無念の表情が残ったら、どうしようかと案じていましたが、それはなさそうです。