The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

4日目の朝 ③ 

店が開く時間になると、父がいなくなった後の自宅が暗いとあんまりだということで、以前から、母が暗いと言っていた台所の照明を買いに出かけて、さっそく新しいLEDに交換しました。

故障や寿命を考えれば本当はパナソニックがいいんですが、某新興電気メーカー等は避けて、とりあえず日立に。リモコンが母にとって一番使いやすそうだったのです。

ついでに茶の間や玄関の照明に付いていた虫の死骸を掃除してスッキリ綺麗になりました。

父の長い10年にも及ぶ戦いが終わったということもありますが、何より、父の周辺に漂っている気配がほとんどさわやかと言っていい雰囲気だったので、家の中には重苦しい気分もなく、こころなしか体も軽く感じるほどなのです。

もちろんうれしいはずはありませんが、なんともいえない、すっきり感があったので、父が逝った前後はさすがに涙を見せたものの、その後は母の表情もさっぱりしていました。

長い時間の間に十分に泣いたし、また覚悟もできていたと思います。

自分は、といえば、心の奥には重苦しさを感じてはいたものの、実はほとんど悲しみとは別の感情に満たされていました。

人間らしくないと思われるかもしれませんが、そもそも自分は臨終の席でかなしいと思ったことはないような気がします。もちろん2度と会えない残念な気持ちは十分にありますが、保育園に通っていた幼い時分に、初めて曽祖父を見送ったときから、死は新しい世界への旅立ち、もしくは誕生であるという感覚をどこかに抱いていて、むしろ祝福すべきもののように感じているからだと思います。

ただし、これはある程度、誠実に生きて、十分に天寿を全うできた場合に限ります。

父の場合はどうか、まだまだ確信は持てません。