The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

父方の曽祖父

父方の曽祖父は自分が物心ついた時分にはすでに体を壊していたようで、日露戦争に従軍して貰った勲章を何度か取り出して見せてくれたこと以外ほとんど記憶がありませんが、家庭では王様状態で親戚や周囲の人々からもそれなりに(今でいえば上級市民的に)扱われていた父を、呼び捨てで叱りつけることのできる唯一の存在でした。

それだけに私を膝の上に乗せて、父のことを叱り付けていた場面がはっきりとした印象に残っています。

私が物心ついた頃には、もうすでに仙人のような風態になっていましたが、若い頃、かつてはこの地域でもっとも早くしいたけの栽培技術を確立して大いに儲けたそうです。

その後、金山に投資するという儲け話にうっかり乗ってしまって、儲けたお金を身ぐるみ剥がされたそうです。

その後も、技術を盗まれたのか、ただ同然で教えたのかは定かではありませんが、地域の会社組織がしいたけの菌株を販売し始めると、とうとうそこから菌株を買うようになってしまったのです。

さらに頼みの長男は戦死して遺骨もなく帰ってきてしまったために、戦後は老体に鞭打って、畑作業や稲作で凌がなくてはならなかったのです。

欲に駆られて若気のいたりで失敗したことはあったにしても、山奥の田舎の農家の出身でありながら、事業に挑戦する気概もあり、戦地でも活躍し、戦後は誠実に家族を守った方でした。

しかし、その人生の最期は子供心にも、不自然というか、本来あるべき姿に遠いものでありました。