The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

通夜という風習 ②

通夜の式が終わった直後、仕事を終えた父のユニットを担当する3名の若い介護レディズが父の顔を見にきてくれました。

すると、昨夜のあの午前0時前後の奇妙な感覚がぶり返してきて、3人がまるでアイドルか天使のユニットみたいに見えてきてしまうのです。

3人はとてつもなく、近しく、懐かしいような、愛しい存在なのです。このとき、わかりました。

3日間に及ぶやり取りの中で、妹夫婦の家族や孫たち、そして母に対する執着みたいなものの残滓を思ったほど、父から感じなかったその理由です。

4年近くに及ぶ特養での生活の中で、子や孫のような様々なスタッフの世話を受けることが父にとって、身内以外の世間のすべてが敵で、自分の思い通りになるのは家族だけ(しかも原則家族は家来同然)といった感覚は徐々に溶けていっていたのではないかと思うのです。

昔から、思い通りにならないことがあると家を飛び出して、長い時間(健康のための運動も兼ねて)ランニングをしてかえってこないとがあり、その度に母が探し回っていて、そういった行動が40年以上つづづいていたと思うのです。そしてあの事故の後でさえも、運動がてらの準徘徊行動は毎日のことだったのですが、どんなことがあっても、出たくても出られない状況、完全依存の全介助の状態になることで、かえって、その不自由さの中でこそ得られる発見や境地みたいなものが父にとってあったに違いありません。

基本、自分に近しい人は完全に支配下において隷属させないと気が済まないような王様体質だった父から、そのような雰囲気が失せてしまったのは、事故のショックや脳の機能の低下によるものと思っていたのですが、必ずしもそれだけではない。

父の最後の10年間はけっして無駄なものではなかったのではないか。

むしろ父が強固なこだわりから抜けるための手段でもあったのではないか。

父はけっして他人に迷惑をかけない。他人の世話にならないという姿勢を貫いて生きていた方でした。それで子供がたまたま問題を起こしたと感じると、子供の言い分も聞かず、一方的にお前が悪いと叱って、今でいうなら、虐待に値しかねない態度をとって徹底的に懲らしめるというスタイルの教育法でした。

ぜったいに、迷惑をかけるな、それは世間を信用していない父にとって、自身が世の中の誰よりも正しいことを証明する手段みたいなところがありました。そして他人の力を借りること、世話になることを避けていました。

しかし、父の最後の4年間は絶対的に他者に依存して、いわば他人の世話になる体験をする中で、それまで拒絶していた、身内以外の人々も含めて、多くの愛に支えられて生きてきたこと、生かされてきたことを実感した時間だったではないでしょうか。

そういう意味では父の最後の10年間は苦しかったけれど、通常の何倍もの密度のある充実した時間だった。

その生活を支えてくれたのが、このスタッフだったのです。

父の特養での4年間はある意味、人生の締めくくりにふさわしい時間だったといっても、今の父ならかつてと違って、うなづいてくれるような気がするのです。