The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

5日目

まだまだ元気な頃の父だったら、ちゃぶ台をひっくり返すどころでない大騒ぎになっていたと思いますが、実は家に帰ってからも、父に聞こえているか、聞こえていないのか定かでない中、少しずつ、最後の日の準備が進められていて、本日午後は葬儀でした。

昨晩は本当は線香が絶えないように交代で見守るというのが、通夜の夜に祭儀場に泊まる目的だったようですが、家族全員しっかり睡眠をとりました。だって、もうまるまる3日間父に十分付き合っていましたから、4日目くらいは4人全員ゆっくり寝てもバチは当たらないだろうという感じでしたし、自分としても、父の魂はそこにはなくて、すでに旅立っているか、次の段階への準備に向かっていると思っていたので、こだわる気持ちはみじんもなかったのです。(昔は故人に悪霊が取り付いて暴れまわることがあると信じられていて、そういうのをみはる意味もあったという話を昔聞いたことがあります)

父の収められた棺は松竹梅なら、松のようで、ファンシーな飾りが付いていたりするので、生前の父のイメージには合わないはずなのですが(もし仮に生前に父に選ばせたなら、一番簡素な素の木の地肌が出ているようなものを選んだでしょう)なぜか化粧を終えた父の顔にはぴったり。父もひょっとしたら天使になれるのだろうかと考えてしまいました。

いやはや孫が喜びそうなデザイン。今風ですね。

そしてまだまだ父の顔はあのすっきりとした表情をしています。

今日は、式中に挨拶を求められ5分ほど話すつもりがあまりに伝えなくてはならないことが多くて、7分以上かかっても終われず、途中で 端折らなくてはならなくなりました。あとで考えて見ると、どんなに早口でも10分、その場の方々に伝わるペースでゆっくり話すと15分かかってもおかしくない内容でした。

とにかく、父の終わり方は通常とかなり違うものでしたので、退院後の経緯を簡単にお話しして挨拶の代わりとしましたが、時間が足りませんでした。

以前、病院の補助看として働いていたこともある叔母なんて、何度説明しても、なんでそんなむごいことをするのかと最後まで泣いていましたから。

かりに時間が十分あったとしてもどれだけ伝えられたか。