The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

若き日の父

父は若い頃の話をすることを好みませんでしたが、そもそも、もともとあまり昔話をするということのない人ではありましたから貴重な記憶です。

もとより父は、テレビを前にして、その内容に突っ込む以外に家族と会話するという感覚のない人でした。

とにかく、父の前では、父のみが正義という感じ。お互いの意見や思いを交換するとか分かち合う、という感じではなくて、原則父の考えや思いだけがすべてという感覚でしたので、父以外は最小限の会話で食事をして、テレビを見るというのが家族の団欒だったりしました。

その父が語ってくれた昔話の中でもっとも印象に残っているのは、卒業前に日本航空の整備士の試験を受けに行った話でした。

整備士というのは、機械や電気に間することに関心が深かった父にとって、憧れの職業だったようで、たぶんですが、大分の田舎から抜けて都会に出る格好の口実といった意味もあって、学校で首席クラスの成績だったこともあり、自信満々で試験に望んだようですが、あえなく、散ったそうです。成績ではなく、ある種のコネが必須だった時代だったということが大きかったのでしょう。そのことで世間の理不尽さを痛感したようで、酔っ払うと、世間に対する不満をつらつらと夜更けまで語るのが常でした。

とまれ、不合格となった父は、泣く泣く、地元の有力企業に就職したのでした。

一方、幼い頃の自分は、大空高く、飛び立つ飛行機にある種のイメージを重ねていました。人間としての、この小さな不自由な状態から解放されて、宇宙にもつながるような大きな世界に離陸してゆくような、高い高い天上の世界へと羽ばたいてゆくようなイメージです。

それで、将来何になりたいと聞かれると、飛行機の操縦士と答えていたのですが、これが父の逆鱗に触れました。

 お前は父をバカにするのか、といって、七夕の飾りはなくなってしまったような記憶があります。まだ5歳くらいだった自分ながら、本気で怒られたのを思い出します。

父にとっては、自分という存在は、父をいじめるために家庭内に送り込まれてきた悪魔の申し子のように感じられていたようなのです。

しかし、幼子のたわいないひとことをそんな風に悪意に取られると、子供としては、どうしていいのかわかりません。

自分はかなり鈍い方だったので、年長のいとこには、絶対にパイロットにはなれないと、バカにされるし、さんざんでした。

夢を持ってはいけないのだろうかと、自問自答した瞬間。どうしても忘れられない記憶となって刻まれました。

今思うと、父は父で、田舎の閉塞的な空間から抜け出て、もっと自由に生きたいという気持ちが、あえなく尽きて、全ての夢と希望を失うような体験だったのだろうと、そう思うと、かわいそうにも思えますが、幼い自分にはわかりません。

客観的に見れば、地元に残るのは父にとって最善の選択であって、かりに都会に出ていれば、おそらくは深刻な人間不信に苛まれて、あまりいい人生は送れなかったのではないかと思います。その点、都会に出て、それなりに成功した他の兄弟よりも、内向きな性質の父でした。