父が帰宅をした日の夕方も、ちらほら帰宅を聞きつけた親族の方々が入れ替わり立ち代わりいらして父に声をかけてくださいました。また夜遅くまで、父の姉に当たる叔母がついてくださっていて、父の幼い頃や青年期のことなども含めて色々な話をしました。自分からは他の兄弟が生まれる前のエピソードなどをいうと、余計なことを言いやがってとか、勝手なこといってやがるとでもいいそうな目で父がこちらを見るので、それなりに話についてきている感覚がありました。
この時点では実際に父の目には、父の人格としての意思あるいは意識のようなものがしっかりと現れているように感じられました。
途中、少し熱が上がって、呼吸も不規則になって慌てたものの、なんとか38度台で収まり、口元に常時溜まっていた痰やらなんやらを吸いとるために、閉店間際のホームセンターにいって、間に合わせで作成した手動の吸入器を使って、喉の粘りのある痰を吸い出すとかなり楽になった様子でした。
深夜の時間帯まではかなり荒い息をしていたのが、急速に収まって、3時過ぎには、徐々に落ち着きました。
父の生命力には本当に驚きましたし、思わず声をかけました。
とうさん、本当にまだ100まで生きようとしちょるんじゃねえんな。
父はうなづく代わりにしっかりまばたきで応えるのですが、何よりも、力強い心臓の鼓動や寝たきりなのにがっしりとして感じる体つきにその信念というよりもほとんど怨念に近い思いが伝わってくるようでした。
随分若い頃から、父にとっては、98まで生きた曽祖父を越えて生きるのが目標となっていて、そのために運動や食事管理を欠かさなかった。その父の中に息づいている生への渇望のエネルギーは絶えていないのがわかりました。
ドクターの見立てでは抜管直後に絶命する可能性が高いということでしたが、この時点では文字通り、峠を越したのかなあ、という感覚がありました。