The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

Oh, my poor father①

幼い頃、あまり父に可愛がられた記憶に乏しいのですが、時折、機嫌がいいと、たぶん退屈しのぎだったと思いますが私を黒板の前に座らせて、父なりの個人授業を始めることがありました。それも記憶に残る範囲で弟が生まれた直後くらいからですので、4歳になるかならない頃、黒板にひらがなやカタカナはおろか、漢字まで書いて覚えさせようとするのです。

そういって、私が復唱できないと、やっぱり、こいつはつまらん、と繰り返すのです。

4歳まで発語がないなど、言葉が遅かったり、発達の遅い自分に働きかけようと、父なりに一生懸命なのはわかるのですが、正直、そういう否定的な言葉こそが、発達の障害になるのにと、幼いながらも意識の片隅で思っている自分があります。

そういった、否定的な、ネガティブな言葉のエネルギーが自分の内面に蓄積して、そこから解放されるまでにどれほどのエネルギーと年月が必要になりそうか計算が始まります。

だいたい、もう少しで45歳、このままいくとすぐに一生を振り切ってしまう。そう察知した自分はそれとなく、父の父なりの英才教育への関心から、気をそらそうとします。

父に反発せざるを得なくなったのは、まあこういったことが、きっかけでもありました。

もし、父のあの、否定的なエネルギーに染まってしまったら、それはそれでただではすまないのでした。

ただ、反発から始まる人生はそれはそれで、苦難の連続でもあったわけで、どちらがいいともいいきれないほどなのですが。