The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

さっぽろ一番 とかけて ドリップバッグ と解く

まだまだ、とんこつラーメンが全国的には知られていなかった大昔。

自分が生まれた当時、辺鄙な田舎に住んでいいたこともあって、ラーメンといえば、屋台のラーメンでした。自分の生まれた当時しばらくは50円で一杯たべれたはず。

地方の有力企業の社宅に住んでいたおかげで、その社宅住まいの住人を相手に週1回か2回、わざわざ屋台を引っ張って営業に来られていたのです。

父のおかげでそういう贅沢ができていたともいえます。

今考えても、週1回としても自宅の近くにきてくれたあつあつの屋台のラーメンをたべるというのは結構な贅沢ですね。

当初はいつもお客さんがいっぱいで、ほとんど家まで持ち帰ってたべたりしていました。家に着くまで下手すると伸びてしまうけれど、それでもラーメンというのは家では作れない料理の代表選手だったのです。

生タイプの麺がスーパーにならぶようになるなんて、ずっと先の話です。当時は農家なら、うどんやそぼの製麺機が必ず1台あって、自分で製麺するのが当たり前でした。

すぐ茹でて食べれるうどんやそばは後になってでてきたのですが、日持ちがせず、すぐに腐るし美味しくなかった。そもそも冷蔵庫そのものも普及する途中だったのです。

チキンラーメンは確かに昔から(昭和33年だそうで)ありましたが、あれは非常食に近くて、名前はラーメンがつくけど、ラーメンじゃないという受け止められ方でした。特にとんこつ文化圏の九州人にとっては別の食べ物でした。

それでも、1968年の出前一丁の発売開始いこう、一気に袋麺の人気が上昇して、家庭の定番となっていきました。たしかその頃でも1袋80円くらいしていたはずです。屋台のラーメンよりも高いのです。でも売れた。

なぜかというと、寒い外に出かけて食べに行く必要もない。持ち帰って麺が伸びることもない。自由にアレンジできて、野菜が取れるし、いっぺんに数人分作ろうと思えばできる。しかも冷蔵庫がなくても保存がきく。

ラー油の効果が聞いて、しょうゆ味に馴染みがなかった九州人にもそれなりにアピールしたんだと思います。

しかし、今にも続く、ごく一般のお店で食べるラーメンにより近い味わいが楽しめる袋麺の元祖といえば、やはり、1966年発売のさっぽろ一番シリーズの名を上げないわけにはいきません。

札幌に実在したラーメン店の味がベースということでしたが、チキンラーメンの単調な味に飽きていた購買層にアピールできたんですねえ。ただしょうゆべーすなので、九州で本当の意味で受け入れられたのは2番手のみそラーメン以降でしょうか。

これにバターを入れて、本格的な北海道ラーメン風にするというのが、ラーメンにこってりとした味を求める九州人にとっては、北の大地への憧れとともに、もうほとんどロマンでしたねえ。

(とんこつ味の袋麺が出たのは、ずっとずっと後のことで、カップ麺の登場の後だったように記憶しています。)

袋麺が家庭に進出して定着すると、屋台のラーメン屋はすぐに150円に値上げしてしまい、その後はぱったり来なくなってしまいました。

でも、今、思い出しても、あの頃の屋台の味や雰囲気というのは、すばらしいもので、タイムマシンがあれば一番先に体験してみたいものの一つですね。

父にとっては贅沢な外食の親戚みたいなものだったらしく、いつもお前たちだけでたべろといって、自分は適当にご飯とお酒で腹を満たしていたような気がします。

で、結局、たまには夕食の手を抜いて楽をしたかった母は仕方なく、父のためだけに、酒のさかなになるものやら、なにやら用意しなくてはならなくなるのでした。

ドリップバッグ がコーヒーの世界でどういう位置付けになるのかと考えていて、ラーメンの世界の袋麺に相当するのではないかと、思いついたのをきっかけに、袋麺を作ってみながら、いろいろ考えていました。

さっぽろ一番、あの当時このスタイルで出せたのは、すごいセンスだと改めて思いました。サンヨー食品、日清という先人があったとはいえ、確かに世の中を変えましたねと。