Coffee Beans Kurochamame

for Dripbags, Coffeemakers and hand-brewing

おいしさの基準

何かを評価するには明確な基準が必要です。

特に味覚に関することについて、ある程度客観的な基準を持とうとすることは、味覚が極めて個人的なものであるが故に、切実な問題です。

何を持って、美味しいコーヒーとするべきか。

いつの日か、AIを駆使したビックデータを活用したり、遺伝子レベルでの味覚の探求が進んで、今よりも明快な答えらしきものが導き出せるかもしれません。

あるいはスーパーコンピュータのシュミレーションで様々な物質と人間の味覚との関連性が解き明かされ、また焙煎中の複雑な化学反応の仕組みが解き明かされて、これまでの謎が解決してしまう日がいつかくるかもしれません。

しかし、全ての謎が解明されるには、かなりの時間が必要となるでしょう。コーヒーに含まれる物質の組み合わせの多さはびっくりするほど、1000を超える化学物質が絡んでいるはずだからです。今わかっている主要な物質だけでも30を少し超えるくらい、その中での組み合わせだけ考えても膨大なのです。

そして、味覚が極めて個人的なものであるが故に、すべてを現代の科学の延長で解き明かすのは、おそらく無理でしょう。科学の世界で重視される客観性と対局の世界にあるものが、味覚かもしれないからです。

さて、人間がおいしいと感じる感覚はとてもシンプルなものですが様々な段階があると思われます。

例えば肉体に対する作用に関しては、自分の体に入れて大丈夫と感じる(安全、安心)。自分の体のためになる(水分補給になる、栄養になる)と感じる。快楽、快感をもたらすと感じる。鎮静作用を感じる。などです。

しかし、おいしさにはもっと別の要素があるのではないでしょうか。

たとえば、初めてコーヒーやお茶を人に出すという行為を覚えた孫が生まれて初めて入れたコーヒーを、それがインスタントでも、一生懸命入れてくれたら、どうでしょう。

それは、思わず、おいしいよ、といってしまうだけに収まらない。感動的な体験になるかもしれません。

そんなの味は関係ないではないかと、反論はあるでしょうが、実際、そういう体験をしたあとであれば、むしろ、そのコーヒーを好きになってしまって、また〇〇ちゃんお願いね。といってしまうようになるかもしれません。つまりおいしいコーヒーがそこで誕生してしまうかもしれないのです。

となれば、人がおいしいと感じるには、たんなる物質のレベルで単純に判別できる以上の何にかが絡んでるはずです。

たかがコーヒーいっぱいに感動するといったら、おおげさと感じるかもしれませんが、一瞬に消費されてしまう、飲食でこそ、芸術にも匹敵する感動が伴うことがあるように、コーヒーにも、人を感動させるような、力は宿りうるはずです。

そういう究極の美味しさ、もしくは、感動をもたらす力のある何か、までを含んだ、おいしさのスケールみたいなものを考えてみたいと思います。