言葉との関係で人間にとってのおいしいについて考察してゆこうとすると、あまりに深い話になってしまって、コーヒーの美味しさに辿り着く前に、さまざまな文化論など寄り道がたくさん生じて、収集がつかなくなりそうですので、すこし話を戻して、再び、地上に生きる生物の一員としての美味しいの意味について考えてみたいと思います。
ところで新しい花畑を見つけたミツバチが巣に帰ってから、どうやって仲間にその情報を伝えているか。ご存知の方も多いかと思います。
今では中学高校の教科書にも記載されているみつばちの8の字ダンス。
カール・フォン・フリッシュという方が20世紀後半に発見したことになっています。
しかし日本語で蜂をハチと呼ぶのは、単なる偶然かもしれませんが、それでも、おそらく、古来の日本人もその行動に気がついていたに違いありません。
そして、きちんと記録したり伝承されることはなくても、あるいは、その意味を正確に解読するまでには至らずとも。新しい花畑を見つけたハチが巣に戻ってダンスをしているようすをみて、たとえ、新しい蜜の園を見つけて喜んでいる、といった程度の受け止め方であったとしても、そこに単なる踊り以上の意味があることを理解していたのではないかという気がします。
日本人の祭りのスタイルの起源がそこにあってもおかしくないとさえくろちゃまめは思っています。
さて、このみつばちのダンス。確かにカールが明らかにしたように、花のある場所の方位と距離の情報を交換しているわけですが、果たしてそれだけの意味で終わるものでしょうか。
新しい花畑に到着して、触れた花の花粉や匂いをまとった個体が巣の真ん中でダンスをする。その後を半ば興奮して仲間たちがくっついて回る。その様子は、日本社会でいえば、たとえば祭りの場で神輿担いで回っている人の周りをとり取り囲んで歓声をあげているようなものです。
そこに生じているエネルギーの交流のようなもの。昆虫の世界に人間のような言葉がないとはいえ、感情のほとばしりにも近い、ある種のエネルギーの交流のようなものはあってもおかしくはありません。
それをあえて人間の世界のことばに翻訳すれば、たとえばこういう感じかもしれません。
おーい、おいしい蜜がいっぱいのアカシアの花があったで、今の太陽から3時の方向でこっち、距離は300mもないで。それも昨日今日、咲き始めたばかりの、フレッシュなやつや、みんなでいこうや! とか。
関西風の表現が適切かどうかわかりませんが、一言で言えば、おいしい花、みーつけた!という感じです。