売れているのがおいしい料理である。
これは何を隠そう、サイゼリヤの創業者の言葉です。
一見、大してこだわりのない大衆向けのレストランの経営理念と受け取られがちですが、この言葉には確かに真理の一端が表現されているように思います。
多くの人に受け入れられているものはおいしい
いや、より多くの人に受け入れられるものこそが、おいしい料理なのである
たしかに種の保存のためにはより多くの仲間にとって有益な栄養源を見つけて共有するのはもっとも合理的な選択です。
この点、より多くの人と共有できるクォリティを持つものが、よりおいしいと認知されるのは、ごく自然なことであり、逆らえない生物としての本能みたいなものです。
これが第一の、平面的な広がりのある、おいしさです。
実際、サイゼリヤの料理はチーズをはじめとした素材一つとっても、かんたんに安価では手に入りにくそうなクオリティである上に、サラダなど、ちょっとびっくりするくらいの量で提供されることもあって、それなりに食にこだわりのある方にもそこそこ受け入れられるであろう質と量を兼ね備えていいる上に、味のほうもイタリア通を自負する向きや当のイタリア人にも一定の評価を受けているようです。
サラダ一つとっても、自分の場合、たとえば水菜は苦手なので、あまりたくさんあると困ってしまうのですが、それでも、まるでとれたてのようなみずみずしい農薬の香りのしないその他の野菜と一緒に出されると、その量に慌てながらも、何とか食べてしまいます。
ちょっとかさまししているよなあと思いつつ、お値段を考えると、とても文句は言えないなあと思うわけです。もちろん、どんなに繁盛しても、サイゼリヤが究極のイタリアンとして通用するわけではないにせよ。
この広がりは、やはり、おいしさの最重要要素のひとつであると言い切っていいほど、大きいのはまちがいないことでしょう。