スペシャルティの世界では今や専用のアナライザーでコーヒーの水分量などを測るのが当たり前のようです。
でも、というかこれ1粒ごとに測って全体の分布が観れるのならまだしも、現実は数十グラム程度とって全体の平均の値を出すということしかできません。
高い分析機はそれなりに意味はあるとは思いますが、それが活きるのは工場で大量生産する体制に近いことをやりたい場合で、焙煎の場合はどこまで通用するか。自分は目で見た感じを中心にしてもあまり変わらないような気がしています。密度だって、手で触った時の感触や品種の情報(正しいとは限りませんが)などを手がかりにした方が現実的にはうまくいくように思います。
どこどこの豆は柔らかいから、ソフトにいかないと、といったことがよく言われます。これは焙煎のテクニック、対処方法としては正しいとはおもうのですが、現実に呼応していない部分も時折感じます。
低い密度、つまりスポンジのように柔らかい組織の豆は断熱効果が高くて、内部に熱が伝わりにくい、ということはどういうことが起きやすいかといいますと、要するに、最後まで内側に熱が伝わらない、その最たる結果が、内側に水分が残ってしまうことです。あるいは内側のある部分が生焼けの状態で終わってしまうことです。
これは1つの豆の中での水分のムラ(ばらつき)、と言い換えることができます。豆の内部のマクロの中心へ向かう垂直方向のばらつきです。
そして、もう一つのムラ、あるいはばらつきは、隣り合う同士の豆ごとの、主に水分量の違いです。(実際には豆ごとに形やサイズ、そして、熟し方や遺伝子が違いますが今回は話を単純化するために主に水分量を中心に考えていきます)こちらは集団としてのばらつき、あるいは水平方向のばらつきと呼ぶことができます。
ここには、さまざまな種類のムラが混在していますが、大きく分けると、1つの豆の内部の水分のムラ(垂直方向)と集団としての豆の水分量のムラ(バラツキ)(水平方向)に分けられます。いわゆる豆の硬さ、やわらかさ、密度の問題はかなりのところ、突き詰めると、焙煎完了後の豆の内部での水分のムラの分布に置き換えることが可能です。密度≒豆の内部の水分のばらつきの分布、というのは乱暴にきこえるかもしれませんが、結局、水分の分布に置き換えて考えても問題ないはずなのです。
ですから、もし、ガウスの世界の視点から豆の焙煎を考えるなら、豆の集団のバラツキと合わせて、さらにもう一つの軸として、1つの豆の中の細胞一つ一つの状態を捉えてそのそれぞれのばらつきが出来うる限り適正な範囲に収まるようになるように焙煎するという組み立てが可能いや必要です。
ただし、実際にはこの2つは滅多に一致しない。
では現実的にはどうなっているか、結局垂直方向と水平方向の2つのばらつきを合わせた全体が好ましいバランスになるように調整するという次善の策で消極的な対応を取らざるを得ないケースが大半になることになります。そして、これはかえって水分量や密度を大まかに測っているだけではむしろ行き当たりばったりになりかねない。測ってみてバランスが取れているようで、豆の内部では一部水分が残っている上に、集団としてみると思ったより焙煎度が深い方向にシフトしていてバランスが悪いとか。豆内部が個性がなくなるくらいムラなくいっている上に集団としてのばらつきも極小でごくごく単調になるとか。
あるいは長時間の焙煎で集団のバランスはある程度足並みが揃って良くなってうまくいったように一見みえるけど、豆の中は完全に火が入りすぎて、個性が感じられないとか。逆に表面の状態から想像する以上に内部に水が残って不完全感や嫌な酸味が残るとか。
見えにくい垂直方向のムラの拡大を防ぎたいというのもあって、スペシャルティの世界で熱風式の焙煎機が好まれるのは無理もありません。でも、あまりその力に頼りすぎると、それはそれで失うものもあるように思うのです。
たとえば、柔らかい豆の場合、多少豆の集団としてのばらつきが揃いすぎるのを犠牲にしても、ゆっくり時間をかけていかないと内部にわずかに水分が残ってうまくいかない場合があり得ます。
とすればやわらかい豆をいい状態で仕上げたいなら、わざとホンの少しだけでもばらつきが多めのロットを選択して長めにひっぱって焙煎してみた方がかえって、うまくバランスが取れる可能性があるということにつながります。こうすると、集団のばらつきがうまい具合に収まる点と豆中の水分が良いバランスになる点が一致しやすい。
コロンビアで粒の揃った上等に見える大粒のスプレモよりも一段落ちるとされる上にちょっと粒が揃わないかもれないエクセルソの方が面白い結果がえられたりするのはこういった理屈で説明できるかもしれません。
ブラジル、確かに浅煎りでも美味しい銘柄はありますが、結構スペシャルティの世界では評価されにくいところまで少し深めにそれも特徴がなくなると言われるほど時間をかけて炒った方が少なくとも一般にはウケがいいとか。
逆に密度が高い豆の場合は短時間で集中的にカロリーを懸けることもできるし、そういう短時間の焙煎を選択する場合、全体の豆を見た目でも少しきれいに整えて揃えた方が具合がいいかもしれません。そうしないと、急激にカロリーをかける分、思った以上にばらつきが生じる。となれば、なるべくスクリーンサイズまで揃ったロットが好ましいことになります。そして、浅煎りであればあまり大粒すぎない方がいい。こういうのはどうしても高価になってしまいますが、同じ産地や農園でもロットが変わると思ったよりいい結果が得られなかったりするのは、1つの豆の内部のムラと集団としても豆全体のばらつきも度合いがうまく噛み合わなくなるためだと考えられるのです。
そのバランスは高地産のいい豆ほどシビアになるはず。こういう豆はばらつきがおおめだからといって、スタンダードのような焙煎をしてしまうと、今度が1つの豆の中でのムラがなくなりすぎて、しかも焙煎も見た目以上に進んでしまって、せっかくの産地や銘柄の特徴が消えてしまいやすい。
もし、思いっきり深くいるなら、それはそれでそれなりに大粒だったりしないと残るものがなくなってしまう。でも大粒で揃った豆は単調すぎる。ですから、こういうときもあえて水分量が違う豆を混ぜたり、プレミックスしたり、ばらつきが拡大する方向に舵を切る方ががうまくいくはずです。
つまり固くて密度が高いとされている豆はそうでない豆以上にしっかり選別して精製されたものを浅めに焙煎していないと本来の魅力を引き出すことは難しくなるはずなのです、が、長時間の深煎りとなると全く正反対のアプローチが必要となる。
この理論はいろいろなパラドックスをうまく説明できるように思います。
たとえばスペシャルティの世界であり得ないほどの深い焙煎の場合、おすすめはどこどこのG2といった話があったりします。本当かなと思って扱ってみると確かにG1より遥かにいい結果が得られたりします。深煎りで全体のバランスが揃いすぎるのをカバーするには元々ばらついているロットの方が都合がいい。
はっきり言いまして、抽出で大きく外れたところをカバーできればG4の方が香りもフレーバーも好ましいケースがあり得ます。
ともあれ、深煎りで大粒が好まれやすいのは、大粒であるだけで、ムラの原因になりやすい。むしろ長時間の焙煎ではそのムラを味方につけることができるわけです。
といった具合に、ミクロの豆粒とグループとしての集団の2つのばらつきを軸に
さらにマクロの全体としてのばらつきを整える、それでカバーできない部分を焙煎以降の抽出で再度整えるといった発想が有効ではないかと感じるのです。
この辺りの匙加減はハンドピックから始まっているかもしれません。
そして、豆の内部のばらつきと集団としての豆のばらつきが理想的な状態で一致する時、それはおそらくどんな豆であったとしても、ベストの焙煎と言っていいと思います。
この理論は、例えば、ブレンドにも応用することができます。一般には焙煎度が揃っている方がブレンドに向いているとされていることがありますが、結構、異なる焙煎度をブレンドしていい結果になることがしばしばあります。
これはあまりに揃いすぎたバランスを違う焙煎度の豆とブレンドして整えているという見方で説明できます。
またシングルでとびきりいい豆にあえて、別の豆を加えて調整するというのも、いきすぎたバランスをそこで微調整している可能性があります。
いずれにせよ。必ずしも豆の密度という軸を別に立てなくても、(焙煎完了後に)豆の内部に残る水分量のばらつきとしてみた方が、豆の形状や大きさや品種の違いなども特徴も合わせて扱えるので、簡便に済むと思います。ただし、数値化するのは簡単ではないのですけれど。
でも、今の時代のAIやディープラーニングのパワーがあればいずれは解析可能になるように思っています。