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ニッポンとアメリカ ①

なぜ、日本とアメリカが戦わなくてはならなかったのか。そして、なぜ日本が負けたのか(あるいはどうしたら争いを避けられたのか)を少し考えてみたいと思います。

今では、トモダチ(作戦)、なんてことばをアメリカ側からかけられたりして、昭和生まれの自分からすると、なんか気持ち悪いと思ったりもするんですが、実際、他の国からすると、2つも原爆を落とされたり、悲惨な目にあった日本がアメリカと友好関係にあるのかがとても不思議で理解し難いと感じるようです。

あれだけの凄惨な戦いをくぐり抜けた同士としては、ある意味、奇跡かもしれません。

誤解を恐れずに言うと、日本と韓国との関係は世界全体から見れば、文化的な親が仮に中国とすれば、中国との関係で兄弟というより、双子か三つ子の兄弟に近い関係と言えなくもないと思っています。つまり外国の一般の方からすれば、ほとんど区別がつかなかったりするわけです。(どちらがたんこぶでどちらが島かというくらいの認識です)

同じように、日本とアメリカとの関係もある意味で、太平洋を隔てて性格は違うものの、やはり兄弟のようなものではないかと思うのです。ですから、たまに兄弟喧嘩は仕方ないとしても。戦争する相手としては最悪でした。でも、やはり、本来はもともとが今のような関係であるべき相手だったのだと思うのです。

(極論すれば、中国とアメリカだって共に大陸の国で様々な省やら州で区切られていて、親戚みたいなものだと言えなくもないですが、それはさておき。)

日本とアメリカは、色々な意味で本来、協力関係でいた方がメリットが大きい。特に日本にとってアメリカは歴史が浅いといっても、近代社会の中の先輩であり、例えれば頼り甲斐のある兄貴みたいな存在だったはずです。

なにせ、鎖国の時代から世界に出てゆくきっかけを作ったのはアメリカでした。

戦前のアメリカはイギリスの植民地の立場から始まり、工業化に成功しても、西洋の中では一等下の扱いを受けたり、少なからず、アメリカ自身が劣等感のようなものを持っていました。(今でもあるかも)

そう言うアメリカだからこそ、東洋の有色人種の国とはいってもアジアの中で独特の存在感を放っていた日本と、なんとか外交を成立させようとしてきたところがあると思います。

ちょっと強引だったとはいえ、日本を西洋の社会にデビューさせた張本人でありました。

日本にとっては、産業革命後の最新技術にせよ、石油の時代になってからの資源にせよ、一番に依存していたのはアメリカといってよかったはず。

経済の仕組みや制度はヨーロッパの他の国を参考にしたのかもしれませんが、太平洋の対岸同士で船舶による交易を考えると西洋諸国の中で一番近いのがアメリカ(ロシヤはモスクワを起点して考えるとやはり遠い)。米国は戦前すでに工業力でヨーロッパを圧倒しつつあったのですから、なおさらですが、一番、友人にしておくべき存在でした。ですから、本来、友人の忠告をもっとしっかり聞くべきでした。

真珠湾攻撃は西洋諸国中でも、どちらかというと恩義を感じてもいい位の間柄であったアメリカに弓を引いたようなものだと思います。

アメリカにとって、小さな島国とはいえ、日本は、ある意味、アメリカが持てない、ほとんどすべてのものを持っている国と言えたかもしれません。旧宗主国であるイギリスにも負けない歴史。単一民族と言い切れるくらい均一性の高い社会。その他、数えきれなくらいの東洋の神秘と美徳が詰まった玉手箱のような国。

戦前の日本が世界の中でそれなりに尊重されていたのはいろいろな理由があると思っていますが、長くなるので、今回は触れません。

当時、アメリカは、なんとか戦争に、特にヨーロッパ戦線に参戦するきっかけが欲しいと思っていたところがありました。さらに一部の人々は日本を中心にアジアの国がまとまって、復讐(ないし反抗)してきたら、大変という、警戒心から、日本の勢いを削ごうと狙っていたかもしれません。それでも本当のところ、あのような血みどろの戦いをしようとまでは思ってはいないかったし、当初は想像さえもできなかったでしょう。