The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

一流であることとは? お正月特番 芸能人格付け

去年は、個人的に体調が優れず、おととしの10月からまる一年間、帰省していなかったのですが、今回は第三波が本当に深刻になる前に一度帰っておこうと思い、久しぶりに実家にて年末年始を過ごしました。

で、本当に一年ぶりに近く、テレビの前に座っていろいろな番組を見ていると、新鮮な発見がたくさんありました。

一つ感じたのは、確実に、世の中は進んでいて、自分の後の世代に、ウェートはうつりつつあるのかなあということ。

思ったよりはっきりと、社会を変革しようとして、ドラマを作ったり、番組を制作している方がいて、実際、その通りに影響されて時代は移り変わっていっているなあ(ちょっとこわい)とか。

特にコロナの前後で変化は加速しつつあるように思いました。

色々見た番組の中で、印象に残った一つは、芸能人の格付け番組です。

地方局だからか、元旦から、2020年版だけを放送していましたが、ちょうどそこには、去年亡くなった志村けんも映っていたりしまして、なかなか深い。

少なくとも、音楽とかですと、テレビを通してこちら側でも判断できるので、素人でも一発で判別できるほど明白でした(それでもミュージシャンが間違えたりしていましたが)。ダンスも、カメラのアングル通してだとかなり迷うもののおおむね判定はできたのですが、食べ物になると、画面のこちら側では、本当に想像するしかないというのもありますが、参加者も最後まで自信がなさそうにしているようすが印象的でした。

視覚の情報が遮断されて、口の中に入れた一口の味と香りだけで判断するのは、いろいろな高級な食材やらになじみがありそうな、一流であるはずの芸能人でもむずかしいんだなあと。それも豚肉と牛肉の区別もつかなかったり、値段にして100倍位ありそうな素材の差がわからなかったりするのは、ちょっとびっくりですが、料理人がそれらしくアレンジして、分かりにくくしたりしていればありえないことでもなさそうです。つまり、素材の差(生豆の質)か、料理の腕(焙煎者のスキル)、調理方法(焙煎環境、焙煎機の差)によって、逆転してしまうこともあるのかもしれないと思うと、これ、コーヒーにも当てはまるかなと思ったのです。

実際、ブランドやイメージを離れて、コーヒーを評価するというのも、簡単ではないはず。純粋にテイストやフレーバーを評価するのは、本当に難しい。

今回テレビを見ながらも、実家で、自分が作って、却下しようか迷っていたドリップバッグを延々と一日中、いろいろな淹れ方をしながら、試していたのですが、たまに思ったよりおいしくはいったり、そうでもなかったり、それでもおしなべて北九州で試すよりはいくらか、いい感じではいります。とはいえ、大々的に宣伝して販売したいレベルには程遠い。

これは使用しているカップの違いか、水の違いか、空気の違いか、それとも湯温の差かといろいろ思いながら試していました