The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

おいしさの起源 ⑦

最初にお話ししたミツバチの話に再び戻りたいと思います。

さて、新しい花畑を見つけたミツバチが巣に帰ってダンスを踊るとき、単にそのミツバチは情報交換しているのでしょうか? または喜んでいるだけなのでしょうか?

そして、それを取り巻く、仲間は本当にただただ興奮しているだけなのでしょうか?

仮によろこんでいるとして、あるいは興奮しているとしてもそのエネルギーはどこから出ているのでしょうか?

それらの活動を単なる物理現象ととらえるならば、蜜を消化して獲得した栄養を分解して得られるエネルギーからという答えになってしまうかもしれません。

しかし、ミツバチを一個の意志ある生命としてみたらどうでしょう。

かつてお話ししたように、この世界はすべての生物が自らの意志で意欲的に活動して、その結果、お互いにささえあう仕組みで成り立っているはずです。

ミツバチは新しい蜜の園を見つけたことを喜んでいるのはおそらくは間違いないのですが、それがただ自分たちの生命維持に役立つから、喜んでいるわけではないのは、ほとんど明らかです。巣を形成している時点ですでに有り余るほどの蜜を蓄えている、ミツバチたち、まるで働けること自体を喜んでいるかのようでもあります。これでまたしばらくは、蜜を集める仕事ができる、うれしいな。といった感じでしょうか。

しかし、これ、もっと踏み込んでいえば、あるいは、擬人化して人間の言葉に翻訳していえば、ありがたいなあ。という感覚に近いのではないかと思います。

それは、文化や宗教の違いにかかわらず、人間社会にも普遍的にあるものだと思います。

多くの文化圏で、収穫の祭りがおこなわれているように、ミツバチたちは、日々、花畑を見つけるたびに、感謝祭をしているようなものではないかとくろちゃまめは思っています。そして、神輿を担いで回るような日本の祭りの原点もあるいはここにあってもおかしくはないと思うのです。

そして、以前、お伝えしたように、こういった自発的な意思で活動する力を与えているものは 物質の世界では、この世界にあふれている芳香物質ではないかと考えているのです。

日本人がよく、感謝をしなさいというのは、ちょっと本来の趣旨と違うと、個人的には思っていますし、またクリスチャンでいう神への愛とか奉仕というのも、また一見、まったく別のことを言っているように感じます。しかし。

この世界では、少なくともミツバチくらいのサイズの生物にまでなると、わかりやすい形で、ある種の、生かされていることへの感謝の態度、あるいは気持ちの表明、表現のようなものが自然に自発的にみられるように思います。

それはたとえば誰に聞かせるでもなく、鳴いて、音の調べで森の空気を震わせている、小鳥のさえずりや、時にはうるさいくらい鳴くかもしれない。カエルの合唱や、セミの競演、かぐわしいにおいであたり一面を満たしてくれる様々な植物の活動。ありとあらゆる生物にみられるものと思います。

人間にとって、それがどういうものであるか、あるべきか、について論じるのは、ひとまずは横において、本質的に、音楽などの人間における芸術的、文化的な活動にも勝るとも劣らない力がそこに現れているように思います。