The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

日本ならではのコーヒーが発達しなかった理由

日本らしいコーヒーの代表格が、缶コーヒーとはいっても、日本を訪れたことのある外国人には知られていて、ネットで見かけることはあっても日本の外では今でも見かけることはあまりないのではないでしょうか。

インスタントもたまたま最初に作ろうとした人が日系人だっただけで、アメリカで作られ、アメリカで普及しました。

ドリップバッグ もティーバッグの派生でアメリカで作られたようですが、詳細はわかっていませんし、外国では見かけません。

またネルドリップでいれる深煎りコーヒーが探せばそこいらで飲めるというのも、あまり他の国ではみられないことと思いますが、これも国内限定のかなりガラパゴスな現象です。

あえていえば、別名ダッチコーヒーともいわれる水出しコーヒーの本格的な奴は海外の一部でKyoto Coffeeと呼ばれることもあるようです。最近日本ではコールドブリューとも呼んでいるようですが、元々始めたのはインドネシア統治時代のオランダ人のようですから、日本の影は薄い。

そういう意味では、日本から、世界に広がったコーヒーの潮流みたいなものは、ほとんどみられないように思います。

かつて日本はインドネシアに進出し、オランダを追い払って、一時的にはインドネシアをオランダの圧政から解放した正義の味方のように歓迎されたことがありました。

実際、その後は、オランダ時代と大して変わらないとか、むしろ悪化したと感じた人も多かったようです。戦争中の混乱の中、それも日本自体が劣勢で沈んでゆく中ですから、無理もないのですが。

それでも戦後は、インドネシアがオランダとやりあって独立を勝ち取る前の過程で旧日本軍の兵士が重要な役割を果たしたことは知られています。

またインド方面では、開戦当初 日本はイギリス軍を圧倒しています。(最初強かったのは日本が準備していたというよりむしろイギリスが油断していた)

日本がもしあの時代、本気で西洋人の横暴を正して、有色人種の人権を擁護しようと思っていたならば、中国に進出したり、アメリカに喧嘩を仕掛ける以上にやらなければならないことがあったはず。

例えば、注力すべきは、インドネシア方面だったかもしれません。
それも、なるべくなら力ずくでなく、じっくり現地の人々と理解しあって新しい社会を築きあげようと努力すべきだったと思います。

インドネシアには(あまり質がよくなくて当時の技術では使いでのない)石油もあったけれど、ユニークなコーヒーがあったのです。そして、何よりそこには奴隷として扱われた多くのインドネシアの人々の姿があったということです。(オランダにも心ある人がいて、特にオランダ統治時代の最後は状況は改善しつつあったという話もありますのでオランダを悪者にする意図も日本の軍国主義を肯定する意図もありませんが。)

今でも石油につぐ世界の貿易品はコーヒーです。なるべくオランダには穏やかに退散してもらって、インドネシアを解放しつつ、日本のいうことを聞かないと、おいしいインドネシアのコーヒーは売ってやらないぞーと、ヨーロッバに凄んだ方がよっぼど、世界を味方にできたはず。

 その点、イギリスを正面切って敵に回すのは得策とは言えなかったかもしれませんが、インド方面についても、どうしても、イギリスに一泡ふかせようとしたなら、まずは(当時の日本でも知られていた)イギリスのいささか横暴な態度※で苦しんでいたインドの人々に寄り添う姿勢を第一において、極力平和的に現地の人々と良い関係を作りながらコーヒー、紅茶の産地をあらかた抑えておけば、今後、日本やインドのいうことを聞かないと、おいしいコーヒーや紅茶は飲めなくなるぞと、いって揺さぶりをかけられたかもしれません。(現実には当時、日本を歓迎する人々よりもイギリス側に加勢する人が多かったようです。あまりに唐突だったので一般人はなんのことやらわからなかったはず)

ベトナムはじめとして東南アジアだってコーヒーベルトにあるのですが、日本の実力では維持できなかったでしょう。他の南方諸島も)

そもそもが、ヒットラー率いるドイツと組んでしまったことや、国際連盟を脱退した時点で日本は自分を必要以上に追い込んでしまっていたので、究極のたらればですが、コーヒーベルトのホンの一画でも、日本の力で経営を成功させて現地の人々と平和的に持続できていれば、日本のコーヒーの世界での立ち位置も随分違ったものになっていたとは思うのです。

大東亜共栄圏というプロパガンダは軍部や政府がぶちあげた虚構だったとしても、それを純粋に信じて、赴いた多くの若者がいたことも確かでした。欧米列強への怒りとかつまらないそろばん勘定を捨てて、もっと冷静に立ち回っていれば、イギリスはじめとした多くのヨーロッパの国の先進的な考え方をしていた人々やカトリック、心ある人々の支持を受けて、日本は孤立することは防げたはずです。

コーヒーを軸にした世界戦略が日本にあったら、と思います。
当時の日本人が頑張ってインドネシアの人々と力を合わせれば、いい品質のコーヒーをたくさん作れるようになったと思いますし、日本のおかげでこんな美味しいコーヒーが毎日飲めるよーと世界中から感謝されたのではないかと思うのです。

(この場合、どうやってオランダと仲直りするかというところは残りますけど、鎖国時代から関わりが深かった中でもありますし、悪名高いインパール作戦など余計なことをしなければ、いまよりはよっぼどいい関係を築けていたはず。)

 ※これ白人に限らず、当時の世界全体に今以上に蔓延していた階級や人間同士を格付けし、上流、下流を決めて支配するような風潮であって、日本でも、戦中多くの悲惨な出来事の遠因となったと思いますので、特にイギリス人や英国を貶める意図はありません。当時の日本の文化人の受け止めが、そうだったであろうということです。