ある一定上の深めの焙煎で煙臭くなくうまくいっているものには、自分にはなぜかすみれの花を連想させる独特の好ましいフレーバーが付き纏うように感じられます。
そして、それはまさに炭になった、あるいはなりつつあるコーヒー豆の香り、だと思います。
深煎りとは炭焼きそのものである。とくろちゃまめは定義します。
考えてみれば炭焼きというのは本当に不思議なプロセスです。
燃料を生成するのに、わざわざ火をつける訳ですからね。
全部燃えてしまうかというとそうではない。
炭素を中心とした成分だけを残して、後の余計な揮発成分は煙にして出したり、燃やしたりする訳です。つまり炭化水素を単なる炭に変えるプロセスな訳です。
コーヒーの深煎りもいってみれば、これと同じ。
ただ、コーヒーの場合、美味しくなくてはならない。
ということは通常ですと炭焼きの場合、木酢液みたいに蒸発して抜けてゆく、成分を
全部でなくても可能な限りコーヒー豆の炭の中に残さなくてはならない。
しかも、ウィスキーに通じるスモーキーさがいくらかあったとしても、まるで火事に巻き込まれたような煙臭さを感じさせるようでは飲料としては失格です。
これいうのはかんたんですけれど、相当の難問でもあります。
つまりあらゆる焙煎の中でもっとも、もったいないけれど、高度な技術が求められるのが深煎りだと思います。
そして、行くところまでいっても、しっかりとしたコーヒーらしさやなんらかの特徴を少なからず、残す、あるいは表現するとしたら、原料にも決して妥協できないということがいえます。
ただ市場で高くひょうかされているものであればいいというわけでもない。そこがややこしいところ。概して、市場で評価されるのは炒りやすくてなおかつ浅煎り、中煎りで豊かなテロワール、時にフローラルとさえ感じさせる高貴な香りやスィートネスが際立ち、なおかつ雑味を感じさせにくい豆ですから、必ずしも、深煎りで本領を発揮するとは言いにくい。というかやはりもったいない。
ブルーマウンテンの深煎りとか確かに独特の魅力があるのは認めたとしても、自分としては焼いてみたいとは到底思えないです。