The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

酵母や乳酸菌の気持ちになって考えてみる

今日、最近作った無塩みそを初めて試して見ました。

ちょっと特別な風味がするようなそうでもないような。

ただ、やはり日本人としてはご飯のお供をするには少し塩が効いていないと不自然に感じてしまいます。

それと何も添加していないのですが、ほぼ嫌気環境で一般の味噌の製造工程に比べても酸素が少ない条件で作っていますから、アルコールが若干強めです。

それもいろいろな種類のアルコール類が発生している感じがします。

その他、いろいろな有機エステルなど、フルーティなフレ-バーの元が詰まっている感じはそこはかとなくします。

そこに気がつけなければ単なる豆のペーストなのですが、どうせならもう少ししっかり甘ければお菓子代わりになるし、それよか逆にしょっぱい方がおかずにはあう。

不思議なのはどうして、あの小さな酵母たちがこんな成分を作り出しているかなんですよね。

そこで考えてみると、メロンだって、収穫した後、ある程度時間を置いて追熟しないとあの甘さだけでなく、芳香もそんなにしない。

ひょっとしたら、そこには味噌と同じように酵母や乳酸菌などの有益な微生物の働きがあるのかもしれません。

いや、百歩譲って、それが単なる化学物質の分解、生成による芳香であったとしても、人間がかぐわしい、好ましいと思う香りと他の哺乳類やらが好む香りが一致するのは同じ動物とおもえば、ありえるとしても、なぜ小さな酵母たちの発生する芳香が人間の好みと一致するのか、そのことを考えると本当にちょっぴり神秘的な気持ちにさえなります。

これは一つの仮説ではありますが、考えられるのは一つは、穀物や豆、果物などの人間の食べ物が熟して美味しくなる過程でかならずといっていいほど、酵母などの微生物が重要な役割をしているか。もうそうでなかったとしても、微生物もメロンやブドウの芳香を相当、好んでいるんではないかということです。

つまりこういうことです、酵母の仲間がたまたまメロンにくっついていたら、とてもいい香りがしてきた、気持ちいいから。これを是非作ってみようと思うようになって、なんとか頑張って、少量だけれども、作れるようになった。たまたまある酵母のグループはぶどうについていて、そこから離れた環境に移った時、やはりあのブドウのフレーバーがないと気持ち悪い、生きている心地がしないなあと思って、自分で作れるようになってしまった。そういうことがあったのかもしれない。

酵母は何も自然の摂理に従って、仕方なく、芳香成分をつくらされているのではなくて、むしろ好んで、自ら進んでメロンやらブドウの香りを作り出して、振りまいて、喜んだり、楽しんだり、しているのではないでしょうか。

たとえば、美味しい日本酒を作り出す酵母の中にはよっぱらってくだを巻いてばかりの連中もそれなりにいて、時には悪酔いの原因にもなるでしょうけど、酵母たちも、酒の中で溺れて、ハイになったり、たまには宴会して騒ぎながら、かもしれませんけれど、昼夜分かたず、一生懸命、せっせとアルコールやら芳香成分を生成している。あるものはメロンが好きだから、ちょっと片手間でメロンの風のフレーバー担当。あるグループは巨峰の味、所変わればチョコレートの匂い、あるいはパイナップル、マンゴー、飽きたらトロピカルフルーツ風、そんな感じで、発酵の原料や環境が変わるに合わせてそのときどきでいろいろなフレーバーを副産物として生成しながら、酵母生を楽しんでいる。なんてのを勝手に想像してしまいます。

とにかく、微生物のような小さな生き物の場合、少しでも自分の生存に有利になる条件を周りに作り出して、集団として生き残っていこうとするはずですので、彼らの生成する芳香成分が、彼ら自身にとってまったく無意味なものではないはずなのです。

ということは、です。

たとえばフルーティなお酒やおいしいヨーグルトをつくってくれる酵母や乳酸菌などを選んだりすることで、人間は、より自分達と好みが近い、あるいは趣味が近い微生物、とりわけ酵母類とお近づきになり、共生してきたわけです。

そのことはある意味、酵母や乳酸菌などの微生物は人間社会の食物生産のシステムの中で共存することで進化してきたとも言えると思います。

つまり犬や猫が単なるペットという枠に収められないくらいに、今では人類にとってかけがえのない存在になっていること以上に、酵母たちや乳酸菌は人間の食生活にとって大事なパートナーであるかもしれないのです。

ということは、いかにこれらの微生物を付き合ってゆくかが、美味しいコーヒーを生み出す際にも重要な鍵となる、といえるのではないでしょうか。