The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

コーヒー論争④

地方で深煎りが好まれる3つ目の理由は、味覚の違いです。

自分の子供の頃はお弁当のおかずはかなりの確率で、ゼンマイや筍やふきのとう、さらにはごぼうでした。何が言いたいかというと、すべてある種のアクや苦味の成分がつきものの味覚だったのです。

これら山菜などに幼い頃から親しんでいたり、またお風呂を沸かすにも薪を炊いたり、時には野焼きがあったり、炭焼き小屋が近くにあったり、陶芸家の窯が近くにあったり、といったこともあって、キャンプファイヤーやキャンプで飯盒炊飯したりといった経験以上の煙臭いようなそうでもないような、どこか深煎りにまつわる体験を都会で育った方以上に日常的に経験して生活しているのです。

そういう意味では深煎りに関連するあらゆる成分に元々慣れている。悪く言えば鈍感なのですけれど、それだけ物事を味わうレンジが広いとも言えます。

それと歳をとることの影響もあると思います。大人になる程、味覚のレンジが広がって、苦味や渋みの成分の奥にある味を感じ取り、深く味わうこともできるようになる。

その点でも高齢化の進む地方で深煎りが好まれるのはほとんど必然です。

田舎基準で言えば、都会の人の舌は未熟で若い。逆に都会基準で言えば地方が雑味に鈍感ということになりかねないところですが、ここでバトルしてては、もちろん、不毛です。

やはり都会のロースターの焙煎は都会で飲めばその良さがはっきりわかるし、南アルプスの麓の山梨やら長野の水で飲めばコンビニコーヒーさえ下手すると、プチスペシャリティ感が出る。本物ならなおさら、そしてその逆も真だと思います。

一例を挙げれば(神戸あたりを田舎と同じ扱いするのは申し訳ありませんが、わかりやすいと思うので書きますが)日本酒の醸造に向くと言われる六甲の水とか神戸で淹れた深煎りにはなんとも言えない深さが感じられたり。

地方にはその地方ならでわの、食文化や風土に合わせたコーヒーがある。

そういうことではないかと思います。

だからこそ、九州に生まれたら、やっぱり東京に頻繁に通うなりしていかないと偏ってしまうという気がします。

とにかく、九州自体が大きな井戸か温泉みたいなもんで、自分にとってはどっぷりぬるま湯に浸かった九州大陸(島)という感じでちょっと馴染めないんですよねー。

いくつになっても都会に憧れるというより、なんだか地元に根付けない感覚があります。代わりに地球全体をふるさとと思えればいいんですけれど、ねえ。