The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

続 おいしさの基準

0 水分補給ができる 生理的欲求のレベル

例えば、夏の暑い日、からからにのどが渇いているとき、冷たい缶コーヒーをもらって飲むとしたら、よほどコーヒーが嫌いな方でなければ、ほとんどの場合、おいしいと感じる暇もないくらいに、あっという間に飲み干してしまうでしょう。

これをおいしいの範疇にいれるべきか。

確かに味は問題にならないとは思いますが、やはりおいしいか、おいしくないか、もし聞かれれば、おいしいと答えざるを得ないでしょう。単に缶コーヒーをくれた人のことを思ってというわけでもなく、まずは体の欲求を満たせたことに対する素直な反応として、そして、何よりも、水分が与えられたことに対する、いわば感謝の気持ちの表れとして。

あえて踏み込んでいえば、このことの中にすでに、生かされていることへの感謝の念があらわれているといえそうです。それをもし言葉に表すなら、かなりの確率で、おいしいではないでしょうか? もちろん、ありがたい、でも、助かったでも、ほとんど同義の世界ではありますが、砂漠の中で、ひからびて死にそうになっているとき、もし缶コーヒーが、何かの偶然で砂の中から姿を現したとして、それを飲み干したなら、やはり、神のごとき最高においしいコーヒーといってもいいくらいに、忘れられない印象を残すに違いありません。

 

1 口当たりがよい 生理的欲求のレベル

口当たりの良さで缶コーヒーに勝る珈琲はなかなかありません。

そこそこ、コーヒーにこだわっているはずの自分でもときおり、眠気覚ましにインターで購入する缶コーヒーの最初の一口のあまりの口当たりの良さに、ああ、こういうコーヒーが飲めるんだったら、焙煎なんかやめて、一生缶コーヒーで済ませればいいじゃないか、と思ってしまうくらい、何とも、やさしい味に、癒されたり、びっくりするような感覚におちいることがあります。

特にのどが渇いているときなんて、てきめんです。

でも、それは最初の一口、二口までで、それ以降は、甘味料のしつこさなどを我慢しながら、ゆっくりのむことなるわけです。

それでも、最初のひとくちだけでも、口当たりの良さは重要です。なぜかというと、それは赤ん坊の時代にさかのぼります。何にせよ、安心して口にできるということは重要です。口当たりの良さは、それだけで、体に取り込んでいいという、安心のサインを与えてくれます。

それはお母さん、ママのおっぱいが赤ん坊にとって、最も安心できる、安心して口にできるものであった時代からのごく当たり前の哺乳類としての感覚だと思います。

だから、ほとんどの場合、缶コーヒーには、乳製品が入っていたり、それに類する口当たりをよくする成分が使われているわけです。この辺りはあらゆる加工食品に通じるかもしれません。

口当たりの良さは、体を守ろうとする、自己保存の働きの根源的な部分と直結している、絶対安心のサインであり、おいしさのベースになる重大な要素の一つでしょう。

先ぶれとしての香りが乏しい加工食品の場合は特に。