The Coffee Roaster House

just around five pounds retreat

なぜ、焙煎を3つの段階に分けるのか

3段論法とか、三元論とか主にキリスト教で言及されるトリニティ(三位一体)とか。西洋の思想の中には3を物事の構成要素の最小構成として捉える傾向があるようです。自分、相手、第三者とか。

対して、日本の場合、起承転結という言葉にもあるように、4つに区切ろうとする傾向が元々あるという気もします。この起承転結という言葉自体は中国の古典的な漢詩のスタイルが起源のようです。そもそも中国には五行説みたいなものもあったり、もっと大きな区切りで見ようとする思想もあるようですけど、人間が扱いやすい、捉えやすい数字、マジックナンバーは5±2といわれているので、シンプルに物事を捉えようとすれば最小で3、少しおまけしても4というのは妥当な線と言えると思います。

電話や会計の数字の区切り一つとっても西洋は3桁でなぜかこっちは4桁区切りだったりしますから、ひょっとしたら東洋人はすこし数字に関するワーキングメモリが多いのか。それとも物事を複雑にしてしまう習性があるのか。

大体、人間の体の構造と視野の関係からして、正面、右、左と3つに分けて捉えるのが最もシンプルで、振り返った時の後ろを追加して、4とすると、当たり前の感覚ではあります。東西南北で4つ。これも来た道を後戻りすることは通常ないとすると、進行方向は右、左、真ん中と大きく3つに区切るのは比較的切り分けやすくごく自然です。

究極の2択というのは話としてはありでしょうけど、ここで持ち出すまでもなく、縦横高さで3次元、重力ある世界で平面で安定して支えられるのは3点支持であるとか、最低限の要素で安定したバランスを保てるのが3。ただし、三角関係が安定していて、平和的かというとそうはいかないのが人間関係の難しいところ、とはいえ、これまた別の話。

ということで、コーヒーの焙煎の場合、起に相当するのは豆の投入の瞬間と捉える向きもあると思いますが、点火する瞬間からと捉える方がまめに伝わるカロリーを考慮すると妥当に思えます。もっと言えば初期の段階にまめに加わる火力ということでまとめれば、起承転結のうち、起と承はくっつけて考えても構わない。そうするとやはり起・承、転、結と3つにまとまって矛盾がなくなります。

すなわち、予熱・および投入後の初期加熱、カラーリング、ファイナルの3つの段階を基本に置くということです。

そして大局においては、これでほぼ必要十分だと思います。